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年は明治維新から150年。明治天皇の誕生日である11月3日を「明治の日」にする運動も、節目の年を追い風にと期待する。半世紀前、明治維新100年を祝った時期を振り返ってみると、ナショナリズムが再び頭をもたげ始めた時代と重なり合う。(編集委員・藤生明)

10月29日、明治150年を記念するシンポジウムが東京都内で開かれた。中心となったのは、文化の日を「明治の日」とする運動を進める「明治の日推進協議会」。主催者はこうあいさつした。

「150年にあたり、明治の意義を再確認したい。そうなれば11月3日がどんな日なのか、思いをいたしていただける。そう願い、本日の開催となった」

この団体は、4月29日の昭和天皇の誕生日を「昭和の日」とする運動をした人たちの流れをくむ。関係者は「明治の日はまだまだ苦戦中」と話すが、150年を追い風にと期待する。

最近、「明治」と冠のついた特集記事や、幕末の志士の伝記の出版、ドラマ制作の予告が目につく。

明治に改元された日は10月23日。内閣官房「明治150年」関連施策推進室は「年明けから本格的に盛り上がっていく」と話しており、国や自治体、民間レベルで明治期の施設の改修や資料の保存、企画展示、講演などの記念事業が目白押しだという。

「100年」時、首相が「一流国家」

「世界の一流国家としての地歩を築いたわが国は……」。明治維新100年の記念式典があった1968年10月23日、当時の佐藤栄作首相の談話にこんな一節があった。国民総生産(GNP)が西側諸国で米国に次ぐ2位となった国の自負がにじむ。

米誌「ニューズウィーク」は「取り戻した民族的自信」という記事を掲載。「新しい自負心は大戦の敗北の傷から立ち直った結果だ」「夢見心地で明治100年を祝っている」と記した。

国営武蔵丘陵森林公園(埼玉)や、国立歴史民俗博物館(千葉)の整備など記念事業も進んだ。他方で、政府式典直後に実施された恩赦は波紋を呼んだ。選挙違反者約4万人が対象となったためだ。

保守勢力の失地回復が進んだ時期とも重なる。66年に建国記念の日を制定し、69年には靖国神社を政府の管理下に置く国家護持法案を自民党が初提出。68年の建国記念の日歴史学者家永三郎氏は集会でこう批判した。「明治100年史観は日本を一直線の発展・栄光の歴史ととらえ、その間の起伏を無視し、すべてをバラ色とする考えだ」

「1940年の状況に近い」

それから半世紀。国民はどう受け取るのだろう。

「未完のファシズム」の著者、片山杜秀・慶大教授(思想史)は「明治100年は高度成長期で、『なぜ日本は戦後うまく行っているのか』が問われた時代。今、日本は停滞し、前提が違う」と話す。

150年での問いは「日本はなぜうまく行かなくなったのか」のはずだが、そうはならず、代わりに「日本人は明治以来、これだけ頑張れた。困難でもまだやれる」「明治の団結に学ぼう」といったかけ声が強調されると片山氏はみる。「状況はむしろ、1940年の紀元2600年祝典と近い」。当時は日中戦争が泥沼化し、「国難突破」が叫ばれた。

戦後日本の核心を描いた「永続敗戦論」の著者、白井聡・京都精華大専任講師(社会思想)は「歴史修正主義」の歯車が150年を機に一気に回るのでは、と予測する。「明治の美しさを語った司馬遼太郎氏の歴史観でさえ、帰結としての昭和ファシズムはダメだと考えた。しかし、その時代さえも肯定したい勢力が、働きかけを強めるのではないか」と危惧する。

〈明治記念式典の起算日〉 佐藤栄作内閣は1966年、明治100年記念行事を全国民的規模で実施することを決定。財界人、学者らによる準備会議を組織した。この会議では明治100年の起算日も論点となり、明治天皇への三種の神器承継(1867年2月=太陽暦に換算、以下同じ)▽大政奉還勅許(同11月)▽王政復古の大号令(68年1月)▽五箇条の御誓文(同4月)▽明治天皇即位の礼(同10月)なども候補となったが、明治改元(同10月23日)が選ばれた。日付の非政治性、理由の明快さ、季節などが考慮された。