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今号掲載の通り、四月七日に都内で「明治の日を実現するための議員連盟」の設立総会が開催された。

同議連は、「我が国の将来の発展を期して、明治を生きた人々の努力に敬意を表し、『自由と平和を愛し、文化をすすめる』という文化の日の意義をより深化させるべく、『明治の日』と改称する」ことを設立趣意に掲げ、設立総会までに超党派の国会議員九十二人が参加を表明。今後、各党での議論なども踏まへ、できるだけ早い時期に「国民の祝日に関する法律」(祝日法)の改正案を取り纏め、議員立法として国会に提出する方針だといふ。

もとより、将来の発展を期して歴史を顧み、先人たちの努力に敬意を表することは、祝日の名称に拘らず常に重要であらう。「文化の日」の「明治の日」への改称実現に向けた取組みが、さうしたことの再認識に向けた契機となることを含め、同議連の今後の活躍に期待するものである。

慶応三年、「王政復古の大号令」により「諸事神武創業の始に原き」との維新の理念が宣明され、翌四年に明治改元の詔が発せられた。その後、わが国は戊辰の役を経て、欧米列強の圧力など厳しい国際環境のなかで富国強兵・殖産興業に努めるとともに、議会開設、大日本帝国憲法の制定など近代国民国家としての歩みを着実に進め、日清戦争・日露戦争などの対外戦争も経験した。

さうした明治維新以来のわが国の戦前の歴史については、最終的に昭和二十年の大東亜戦争の敗戦といふ結末に至ったこともあり、これまで、ややもすれば戦前の政治・経済・社会のいたるところから敗戦の直接・間接の原因を見出し、あたかも戦前は闇黒の時代であったかのやうに捉へたり、そのすべてを否定したりするやうな風潮も見られたのではなからうか。極端なイデオロギーに左右されたり、偏狭な国家主義に陥ったりすることなく、冷静に歴史を見つめ直したい。

斯界においても、明治初年には「神社の儀は国家の宗祀にて一人一家の私有にすべきに非ざる」として神社の公共性が確認され、また今年が神宮大麻全国頒布百五十周年の佳節にあたるのも、当時の一連の神宮御改正を踏まへたものであり、明治以来の歴史は現在の神社・神道のあり方とも深く関はる。

神社本庁では平成三十年、「明治維新百五十年に際しての統理告辞」を発表し、明治維新について、神武創業の始に原き、祭政一致の古制を恢弘し、わが国未曽有の変革を目指すものだったことを強調。とくに明治天皇が国是五箇条を天地神明に誓はれ、近代国家としての日本の歩むべき道を示されたことに触れた上で、それから百五十年間、皇室をわが国の中心に仰ぎつつ、国民一丸となって歩みを進めてきたことを回顧した。一方で、その間の激しい時流の変化とも相俟って想はぬ道義頽廃が進みかねない状況にあることを憂慮。維新の精神に立ち返り、大御心を体し、神勅に明らかな報本反始の誠を捧げ、氏子崇敬者と共に、神祇祭祀の伝統護持に万全を期すことを求めてゐる。

この明治維新百五十年から三年半が経過した今、道義頽廃への懸念のみならず、新型コロナウイルス感染症の蔓延にともなふ影響や昨今のロシアのウクライナへの侵攻など、内外の世情はいよいよ混迷を深めつつある。「諸事神武創業の始に原き」として原点に立ち返り、皇室を仰ぎつつ国民一丸となって歩みを進めてきた明治以来の歴史を改めて考へるべき時といへよう。

昭和二年、国民の請願運動に基づき十一月三日は明治天皇の「遺徳を仰ぎ、明治の昭代を追憶する」明治節となり、四方拝・紀元節・天長節とともに四大節の一つとされてきたが、占領下の昭和二十三年に定められた祝日法により「自由と平和を愛し、文化をすすめる」といふ「文化の日」に改変された。この日はいふまでもなく明治天皇の御誕辰日であり、明治神宮では勅使参向のもと厳粛に例祭が執りおこなはれ、全国の神社でも明治天皇の遺徳を追慕・敬仰する明治祭が斎行されてゐる。

「明治の日を実現するための議員連盟」の設立総会にあたり、「文化の日」が何より明治天皇の聖徳を偲び、また先人たちの歩みを振り返りつつ、これからのわが国のあり方を真摯に考へていくための、より有意義な日となることを切に望むものである。