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【正論】いま「明治の日」制定すべき意義 国学院大学名誉教授・大原康男

去る11月3日、玄関先にマンション用として少し小ぶりに作られた国旗を揚げながら、この日をなぜ「文化の日」と謂(い)うのだろうかとの疑問があらためて頭を過(よぎ)った。

たしかに「国民の祝日に関する法律」(昭和23年)は11月3日を「自由と平和を愛し、文化をすすめる」日と規定し、この日には宮中で文化勲章の親授式が行われている。また、この日を中心にして文化庁芸術祭が催されることもあって、今日ではほとんどの人が何のこだわりもなく受け入れているかに見える。

 ≪元は明治の天長節だった≫

しかし、昭和12年に制定された文化勲章の受章者の発令日は一定してはいなかった。当初は4月29日前後が多く、それが11月3日に固定され、受章者に対する宮中伝達式(平成9年からは宮中親授式)が行われるようになったのは「文化の日」という祝日が誕生してからのこと。したがってこの祝日の趣旨と11月3日という日づけの間には何の必然性もない。なぜこんなことになったのか。

そのためには近代以降のわが国の祝祭日の中で11月3日にはどのような由来と履歴があるのか、振り返ってみる必要がある。明治6年、政府は「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」(太政官布告第344号)を発し、これまで久しくシナ風の五節句を中心に据えてきた祝祭日をわが国の歴史や伝統に沿って抜本的に改めたが、新たに祝日とされた中に紀元節とともに天長節があった。言うまでもなく、明治天皇のご誕生日である。その日が11月3日だった。

明治天皇が崩御されて大正天皇が践祚(せんそ)されると天長節は8月31日に移った。一方、先の太政官布告は廃止され、それに代わって制定された「休日ニ関スル件」(大正元年勅令第19号)に基づいて、先代の天皇の崩御日を祭日とする先帝祭は孝明天皇祭(1月30日)から明治天皇祭(7月30日)に移る。したがって御代替わりがあっても明治天皇に関わる祝祭日は依然として存在し続けたのである。

 ≪激動の世の苦楽を忘れず≫

ところが、大正から昭和へとさらに時代が変わると、天長節が昭和天皇のご誕生日である4月29日に移ったのは当然としても、先帝祭が明治天皇祭から大正天皇祭(12月25日)に移行したことによって、激動の世に苦楽を共にした明治天皇に因(ちな)む祝祭日が皆無となったことに、当時の人々は一抹の寂しさを禁じ得なかった。

かくして明治天皇に由縁(ゆかり)のある日を何か残してほしいという声が全国各地から澎湃(ほうはい)として起こったため、政府は昭和2年に、先記した「休日ニ関スル件」を改正、11月3日を「永ク天皇ノ遺徳ヲ仰キ明治ノ昭代ヲ追憶」する日とし、「明治節」という名の新しい祝日を追加したのである。

しかるに、先の大戦の敗北によって状況は一変した。連合国軍総司令部(GHQ)は占領政策の一つとして祝祭日の全面的改正を日本政府に命じたからである。その詳細を述べる余裕はないが、かつて本欄でも略述したように、元始(げんし)祭(1月3日)・神嘗(かんなめ)祭(10月17日)のように完全に廃止されたものもあれば、「天長節」改め「天皇誕生日」のように、趣旨はほぼ同じだが、名称が変わったものもある。

この両者の中間に、国民の愛着が強かったために、日にち自体は辛うじて残ったものの、その趣旨が全く変えられてしまったのが「勤労感謝の日」(元の新嘗(にいなめ)祭、11月23日)と同じくこの「文化の日」なのだ。

 ≪憲法公布日が選ばれたわけ≫

周知のように、現憲法は昭和21年11月3日に公布された。なぜこの日が選ばれたのか、当時の内閣法制局の幹部はこう説明する。

GHQは新憲法の制定をひどく急がせたが、どうしても11月初旬になってしまう。公布から施行まで6カ月の周知期間が必要だから、11月1日にすれば、施行は翌年5月1日になってメーデーと重なってまずい。5日にすれば、5月5日の端午の節句に当たり、男女平等を謳(うた)う憲法の精神にそぐわない。そこでその中間をとって11月3日とした-。

果たしてそうであろうか。時の首相は皇室尊崇の念の篤(あつ)い吉田茂。新しい憲法は国の大変革をもたらすものではあったが、明治憲法の改正手続きに忠実に則(のっと)り、天皇のご裁可を経て公布された欽定憲法であるとの信念を持していた吉田としては、アジアで初めて近代的立憲国家を建設された明治天皇のご誕生日を敢(あ)えて選んだと思えてならない。

近代日本の興隆をもたらした明治の御代を想起する日-「明治の日」を「文化の日」に替えて新定する所以(ゆえん)について、これ以上多言を弄するまでもあるまい。

時あたかも11月11日に「明治の日推進協議会」が主催する国民集会が開かれ、田久保忠衛杏林大名誉教授の講演が予定されている。4月29日を「みどりの日」から「昭和の日」に改めた過去の成果を顧みつつ、この運動のさらなる進展を切に望みたい。

 

(おおはら やすお)国学院大学名誉教授

(産経新聞平成27年11月10日)