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今年、日本の国民にとって最も深い精神的意味を持つものは、5月1日の改元である。日本とは何かを深く考える数十年に一度の機会だからだ。そして、その認識の上に、新しい元号の時代の日本はどうあるべきかを決断することが必要なのである。

≪其国民性にユダヤ的方面がある≫

昨年は明治150年の記念の年であり、全国各地の博物館や美術館などで明治を回顧するさまざまな企画展が行われたが、それらを貫くものは明治人の「義の精神」であった。この精神は、節目の年だけではなく、これからも日本人が折に触れ回想しなければならない。何故なら、明治人の「義の精神」を記憶し続けていることが、日本人の精神の気高さを維持させてくれるからだ。

今回の改元を機に、私は、日本は「美の国」よりも「義の国」を目指すべきだと考えている。内村鑑三に「美と義」と題された文章がある。本質的な問題を突いた、大変重い文章である。

「文明人種が要求する者に二つある。其一は美である、他の者は義である。美と義、二者孰(いず)れを択(えら)む乎(か)に由て国民並に其文明の性質が全く異るのである。二者孰れも貴い者であるに相違ない。然し乍(なが)ら其内孰れが最も貴い乎、是れ亦大切なる問題であつて、其解答如何(いかん)によつて人の性格が定(き)まるのである」と書き出され、国として古代ギリシヤは美を追求する国であったのに対して、ユダヤは義を慕う国であったとし、その結果ギリシヤとユダヤはその文明の基礎を異にしたという。

そして、日本については「日本は美を愛する点に於(おい)てはギリシヤに似て居るが、其民の内に強く義を愛する者があるが故に、其国民性にユダヤ的方面がある」と指摘しているが、この指摘は、日本あるいは日本人を考える上で決定的に重要な点である。改元後の日本の進路を決断するに際しても、この点が核になるであろう。

内村鑑三

 ≪戦後は「美」に傾斜した時代≫

明治の日本は「義」の国であった。一方、大正は「美」の時代であった。昭和10年代は「義」の時代に回帰したが、戦後の昭和と平成は再び「美」に戻った時代だったように思われる。即(すなわ)ち戦後七十余年は「美」に傾斜した時代だったのであり、それを改元を機に「義の国」にしなくてはならない。「明治の日」という祝日の制定を願うのは、「義」の時代・明治を回想する機会になるからだ。平成の次の日本には「明治の精神」の回復が必要なのである。

もともと「日本は美を愛する点に於ては」特別である。橋川文三は「わが国の精神風土において、『美』がいかにも不思議な、むしろ越権的な役割をさえ果してきたことは、少しく日本の思想史の内面に眼をそそぐならば、誰しも明かにみてとることのできる事実である」と書いている。確かに「日本は美を愛する」。それは、例えば日本美術史の方面で考えてみても、多様で素晴らしい「美」で満ちている。日常生活においても、道具や作法などにおいて「美」がとても大切にされる。

しかし、「其民の内に強く義を愛する者がある」のだ。日本の歴史には、幕末の水戸学の代表者・藤田東湖の「正気(せいき)の歌」を思い出すならば、そのような「正気」の発現ともいえる人間が、時々出現する。これが、日本の歴史を一本の骨のように貫いており、表層的にみれば、「美」だけの日本を、辛うじて支えているのである。「ギリシヤに似て居る」が、「其国民性にユダヤ的方面がある」ことが、日本の歴史を劇的で深い意義を持ったものにしているのだ。

 ≪「志士」の出現が待望される≫

この沈積していて見えにくい背骨が、浮かび上がってはっきり見えるのが、明治維新のような危機の時代なのである。この時代こそ「其民の内に強く義を愛する者」が輩出した時期だからだ。吉田松陰、西郷隆盛などをはじめとするいわゆる維新の志士たちは、「強く義を愛する者」であった。志士というものも、単に「志」を持っている者ととらえては間違いであろう。歪(ゆが)んだ「志」の持ち主も、今日のように大いにありうるからである。志士とは、「強く義を愛する者」の謂(い)いであり、平成後の日本に出現が待望されるのは、そのような「志士」なのである。

今や、幕末維新期のような深刻な危機の時代を迎えている。「美を愛する」日本だけでは、もうやっていけないのではないか。このグローバル化の時代の中で、「日本の美」は、観光資源になっている。大挙して押しかける観光客によって、「日本の美」の表れとしてこれまで歴史と伝統の中で蓄積されてきた衣食住の文化は、蕩尽(とうじん)されていっているように思われる。それを見ているのはとても辛(つら)いが、これから日本を「義の国」に立て直していくと思えばいいのではないか。この激動の世界の中で、日本が諸外国と誇り高く対峙(たいじ)するためには、日本は「義の国」でなければならないからである。(しんぽ ゆうじ)