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明治維新から日露戦争までの30年余りの日本を、司馬遼太郎は野球にたとえている。主力産品の米と絹をエースとたのみ、欧米の向こうを張ろうと目いっぱい背伸びする。「人口五千ほどの村が一流のプロ野球団をもとうとするようなもの」だと。

作家の微苦笑が目に浮かぶ。「この時代のあかるさは…楽天主義(オプティミズム)からきている」とも司馬は書いた(『坂の上の雲』第一部あとがき)。誰もが先進国に肩を並べる日を信じ、国家というチームの強化に突き進む。見上げた空は目にしみる青、そんな時代だったろう。

明治天皇の誕生日である11月3日は、晴天の多い特異日としても知られる。昭和2年に「明治節」と定められた。GHQの占領政策により神道や皇室祭祀(さいし)と結びつく名は除かれ、「文化の日」となった。わが国の祝日にもかかわらず、成り立ちを知るよすがもない。

73年前のきょう公布された現憲法も、ありようは祝日の名称と変わらない。指呼の間の対岸で日本の隙をうかがう豺狼(さいろう)がいる。国土を守る術(すべ)にはしかし、極度の制約がある。海のかなたにある米国を後ろ盾とたのみ続ける楽天主義は、他国の侮りを招くだけだろう。

「文化の日」から「明治の日」へと、改称を求める署名が100万人に達した。祝日をわが手に取り戻そうという、国民の意思の表れとみたい。昨年の「明治150年」に間に合わなかったのは惜しまれるが、着実な歩みが続いているのは悪くないニュースである。

つきまとう「戦前回帰」の声は的外れというほかない。明治維新を境にして、人々は世界の文化や技術に目を見開かれた。新たな時代を迎えた高揚感と、誰もが前へ突き進んだ一体感は、東京五輪を目の前にした日本が取り戻したい感覚でもある。