11月3日は明治天皇御生誕の佳節であり、明治6年(1873)に祝日「天長節」と定められました。「天長」の語は『老子』に由来し、天皇の御代が永遠に続くようにとの思いが込められています。
明治45年(1910)に明治天皇が崩御されると、「天長節」は大正天皇の御生誕日である8月31日に改められました。けれども、西洋列強の圧力を跳ね返すべく幕藩体制を打破し、明治天皇の下で近代国家の建設に取り組んできた記憶を有する当時の国民にとって、この11月3日は特別な日でした。そこで、この日を明治の御代を顕彰する祝日にしようとの国民運動が展開され、昭和2年(1926)に「明治節」が制定されました。
しかしながら、第二次世界大戦後の昭和23年(1948)に制定された祝日法により、「明治時代を記念する日」を求める国民の声を無視する形で「明治節」は廃止され、代わりに、日本国憲法の公布日であることから「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ことを目的とする「文化の日」と改称されました。
もちろん「自由」・「平和」・「文化」は大切であることは言うまでもありませんが、それらが如
それよりも、「明治節」の制定と廃止を巡る経緯からすれば、「近代化の端緒となった明治時代を顧み、未来を切り拓く契機とする」祝日「明治の日」を制定することのほうが有意義ではないか、と私たちは考えています。