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この何年間かおなじみになった光景が今年もあった。ハロウィーンである。常軌を逸しない範囲で楽しむことに異は唱えない。それでも筆者には、戦後、連合国軍総司令部(GHQ)がなした日本改変が、思わぬところでなお影を落としているように思える。
■わかりにくい日本の祝日
外来文化を取り入れることにたけ、クリスマスも年中行事として定着させた国である。ハロウィーンという外国の風習を楽しむこともあってよいのだろう。違法行為に走ったり、マナー違反や迷惑行為に及んだりしない範囲で、ということは当然の前提である。
昨年は東京で若者が軽トラックを横転させるなどし、逮捕者が出た。論外である。今年も逮捕者が出た。だがハロウィーンに繰り出す全員がそうではあるまい。マナーを守って仮装などを楽しみたいと思っている若者たちも多いだろう。
ただ、ハロウィーンが古代ケルト由来の収穫祭であることを思うと、すっかり変質してしまったこの国の姿にいささかのさみしさを覚えることを禁じ得ない。収穫を祝う祭祀(さいし)なら、日本には新嘗祭(にいなめさい)がある。天皇が新穀に感謝する重要な宮中祭祀であり、各地の神社でも祭事が行われる。今年は天皇陛下が即位されたことに伴い、11月中旬に大嘗祭(だいじょうさい)として行われる。即位した天皇が最初に行う新嘗祭が大嘗祭である。
連綿と、また粛々と、日本という国はそのような営みを続けてきた。その歴史がとても見えにくくなってしまっている。例年、新嘗祭が行われるのは11月23日である。いま、この日はどうなっているか。勤労感謝の日。なんのことなのかよく分からない祝日名だと思うのは、筆者だけではあるまい。若い世代に日本の収穫の祭祀が伝わらなくなっていたとしても、無理はない。
■「文化の日」も
日本の祝日について、筆者は産経新聞紙上で何度か述べてきたが、改めて書いておきたい。国家の祝い事の日である日本の祝祭日は戦後、この国を占領したGHQによって大きな改変を余儀なくされている。
GHQが日本の神道を敵視したことは、以前、当欄でも触れた(9月25日)。終戦の年、昭和20年12月15日にGHQが出した神道指令は神道をカルト、すなわち「狂信」とみなし、公的な場から神道を追放した。
日本の祝祭日は、皇室や神道と結びついているものが多かった。GHQはそれを嫌い、改廃を日本に勧告した。GHQの覚書にはこうある。
「国家神道の神話・教義・実践・祭礼・儀式・式典に起源と趣旨を有する祝日を廃止し、新しい祝日の名称について好ましくない神道の用語を避けるよう、日本政府に指令することを勧告する」(鈴木英一『日本占領と教育改革』)。
「勧告」とはいうものの実質的な強制だったといってよい。昭和23年、祝日法が成立し、新嘗祭は勤労感謝の日となった。
ちなみにこの3連休の中日であった11月3日の文化の日は、明治天皇の誕生日である明治節だった。これもそのとき変わってしまった。祝日法はこの日を「自由と平和を愛し、文化をすすめる」と位置づけている。「自由と平和」は昭和21年11月3日に日本国憲法が公布されたからだろう。いまや国民に定着した文化の日を否定はしない。しかし列強の外圧に耐えて国の独立を守った明治という元号を含む祝日名のほうが、GHQに骨抜きにされた憲法にちなむ現在のものより、筆者にはよほどよい。
■自立した思考を
いずれにしてもこのように、令和となった現在においてもなお、GHQの日本改変の影響は残っている。それをまず知ることが必要ではないか。憲法をはじめ、改変はさまざまなところに及ぶ。そして、改変された価値観を戦後も守り続けてきたのは日本なのである。
たとえば以前から、文化の日を明治の日に改めようとする動きがある。民間団体「明治の日推進協議会」は署名活動を続けている。10月末には明治の日創設に賛同する書名が100万人以上集まったとして、目録を自民党議員連盟に提出した。
こうした動きに異を唱える声も存在する。いずれも2年前のものだが、引いておこう。
「(推進協議会の)活動を支えるのは現行憲法に対する拒絶感だ。すなわち憲法は占領軍による『押しつけ』だから、憲法と密接な文化の日も葬り去りたいのではないか。憲法改正による戦後レジームからの脱却を訴えてきた安倍(晋三)首相らの考え方と根っこは同じであろう。明治時代への漠としたノスタルジーや戦前回帰の感覚がそこに連なる」(平成29年11月3日毎日新聞社説「文化の日の改称運動 復古主義と重なる危うさ」)
朝日新聞はこの年2月11日に「明治150年 歴史に向きあう誠実さ」とする社説を掲載している。当時の稲田朋美防衛相が明治の日についての集会で「(初代天皇である)神武天皇の偉業に立ち戻り、伝統を守りながら改革を進めるのが明治維新の精神」などとあいさつしたとし、こう書いた。
「文化の日は、憲法公布の日を記念し『自由と平和を愛し、文化をすすめる』として定められた。当時の国会の委員会会議録には、『戦争放棄を宣言した重大な日』と位置づけ、この日を文化の日とする意義を説く委員長の言葉が残されている。こうした経緯を踏まえず、神話の中の天皇を持ち出して『明治の栄光』を訴えるふるまいには、時代錯誤の一言で片づけられない危うさを感じる」
2月11日は建国記念の日である。この日は、改変された祝日のなかでもGHQがついに認めなかったものであり、戦後も左派などの反対で長く復活しなかった祝日である。いまもなお建国記念の日に反対する風潮は残る。それは、終戦までの日本への反動とGHQが敷いた軌道によって起こった、戦後日本の左傾なのである。
これまで書いてきたように、戦後憲法の制約ゆえに日本には広大な外国の基地が存在する。北朝鮮による拉致被害者をいまだに取り戻せない。国家として自立した思考をこそ、日本はなすべきではないかと考える。
(編集委員兼論説委員 河村直哉)