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コロナ後の日本を考え

新型コロナウイルス禍の前から、11月3日の「文化の日」を「明治の日」に変えるべきだと訴えてきたが、コロナ禍の中、その変更の意義についての理解と賛同の輪が広がってきているのは、日本の将来に希望を抱かせる。

コロナ後の日本を考えたとき、「明治の日」の制定の必要性はますます高まっている。「明治節」だったものが、敗戦後の「占領下」で「文化の日」に変えられたのに、それをそのまま放置しておくことは、日本の独立意識の希薄さを露呈しているからである。

3年前の平成30年は、明治150年ということで、明治の時代と精神を振り返る様々(さまざま)な催事が行われた。しかし、この明治の回顧は、記念の年だけではなく、折に触れて為(な)されるべきである。明治という時代は、日本の歴史上、最も偉大な時代の一つだからであり、このような高みにあった時代を回想する歴史意識を持っていることが、日本人と日本という国の水準を維持するのに必要だからである。

コロナ禍の世界が、一種の「戦時中」であるとは、世界のリーダーたちが言っていることだが、コロナ禍がここまで長引き、生活様式や価値観にまで大きな影響をもたらすことが明らかになってくると、日本においては、「戦時中」よりも「明治維新」を連想した方がいいかもしれない。

コロナ後の世界の激変に対峙(たいじ)していくためには、「明治維新」の激動を勇気と叡智(えいち)で乗り越えて、明治の栄光を達成した日本人の歴史を回想することが求められるからである。そのためには、「明治の日」が日本の暦の上にあり、明治という時代と精神を振り返る時間があることが大切なのである。

山田耕筰「明治頌歌」

この回想のために、山田耕筰(こうざく)の「明治頌歌(しょうか)」を聴いてみるのもいいことだと思う。「赤とんぼ」「この道」「からたちの花」などの国民的愛唱歌を作曲した山田は明治19年に生まれた。近代日本の作曲家の中で、最も知られた人物の一人であり、明治20年生まれの信時(潔のぶとき・きよし)とともに、「荒城の月」の滝廉太郎の後、日本の音楽界を牽引(けんいん)した双璧であった。昭和15年の紀元2600年の奉祝曲として、信時潔が交声曲「海道東征」を作曲したのに対して、山田耕筰は交響詩「神風」を作曲している。

その山田が、管弦楽曲として最も自信を持っていたとされるのが、大正10(1921)年作曲の交響曲「明治頌歌」である。戦前には、国内で山田自身の指揮で初演された後、ベルリン、ロンドン、モスクワなどでも演奏されたという。戦後は、昭和25年から26年にかけて祝われた「作曲生活50周年」の際には、近衛秀麿の指揮によって演奏された。現在は、「日本作曲家選輯(せんしゅう)」の中の山田耕筰の曲を収めたCDに入っているが、演奏される機会はほとんどなくなってしまった。

この18分ほどの曲は、歴史絵巻のように展開する音楽で、開国―幕末の動乱―文明開化(西洋文明の受容)―明治天皇の崩御―日本と西洋との真の融合、といった内容が音で描かれた篳篥(ひちりき)と管弦楽のための単一楽章の交響曲である。

やはり山田は、信時と同じく「明治人」であり、明治を回想するとき、「頌歌」の形をとったのである。明治天皇の崩御のところで、篳篥の独奏が加わる葬送行進曲が感動的である。明治天皇が、明治大帝と呼ばれたことが思い出される。そして、「日本と西洋との真の融合」への希望が高らかに奏(そう)せられて曲は終わるのである。

日本独自の立ち位置確立

「日本と西洋との真の融合」が、明治という時代のヴィジョンであった。ヴィジョンではあったが、確かに「真の融合」は難しい課題であった。西洋の模倣とそれへの反発が対立し、現実に多くあったのは、混合であった。山田耕筰の「明治頌歌」は、西洋の管弦楽と和楽器の協奏が上手(うま)くいっている数少ない例である。内村鑑三は「武士道の上に接木(つぎき)されたる基督(キリスト)教」と言ったが、このように「接木」による「真の融合」は稀(まれ)であったのである。

この「日本と西洋との真の融合」という明治のヴィジョンは、コロナ後の世界における日本の立ち位置を考えたとき、引き継ぐべきものではないか。日本は、明治以来、西洋文明を学ぶことを選択した。それを福沢諭吉は「脱亜入欧」と言ったが、これは、間違ってはいなかったと思う。問題は、西洋がその長い歴史の中で形成した価値観である「自由と民主主義」が、日本において付け焼き刃ではなく、日本的なるものとの「真の融合」となっているかどうかである。

この日本独自の立ち位置を確立しなければ、米中対立の中で、その力関係の動向に左右されて、西洋の価値観を血肉化しないままに唱えるか、権威主義の「亜」の勢力に吞(の)み込まれるか、どちらかになってしまうのではないか。

明治のヴィジョンが、現在こそ必要なのだ。「明治の日」が制定されることを願ってやまない。(しんぽ ゆうじ)