【新保祐司】 明治初年の精神を復興の道標に(産経新聞平成25年3月15日「正論」欄)


 2年前の3月11日に起きた東日本大震災とそれに伴う福島原発事故は、日本の戦後の問題を根底から問い直す衝撃を持ったものであり、3・11を「戦後民主主義」を問い直す機会としなければならない。でなければ、日本はこのまま「戦後レジーム」の価値観の閉塞の中で衰亡していくであろう。

 3・11は戦後問い直す衝撃力

 3・11は、多くの日本人に現在の日本人の価値観と日本という国家の在り方を深く反省させる衝撃を持っていた。この衝撃が当初の大きさを失っていくとしても、その衝撃が本質的に持っていたもの、いわば、今日現在の日本人の精神の姿と日本という「国のかたち」が何かおかしいのではないかという深い疑惑を手放してはならない。この疑惑こそ、日本人の精神の再建の鍵だからである。

 大震災後の日本のヴィジョンを描いていく上で、日本の過去の歴史を振り返ることが必要なのはいうまでもないが、問題は日本の過去のどこを振り返るかである。

 関東大震災からの復興であろうか。今回の大震災からの復興を考えるに際し、関東大震災が参照されることもあった。しかし、関東大震災からの復興とは、ある意味で、日本の近代化のさらなる展開であった。この大正12年の大震災で焼失したものは、江戸の文化の名残であった。当時までまだ残っていた江戸以来の町並みであり、風俗であった。それらの江戸文化の残照が、ほぼ完全に消え去ったのである。だから、さらなる近代化としての関東大震災からの復興は、東日本大震災後の日本にはあまり参考にならないであろう。

 関東大震災、戦後復興は異質

 戦後の復興は、関東大震災からの復興以上に話題になった。戦後の日本の奇跡的な復興を見よ、3・11からの復興も可能だ、戦後の復興の成功を学べ、といった言説が目立った。しかし、そうか。

 戦後の日本とは、何といっても敗戦国である。高度成長の結果、経済大国になっても、それは大きな歪みを持ったものであった。敗戦後、占領下に「配給された」憲法を、サンフランシスコ講和条約発効後も改正せずに、「戦後民主主義」の生ぬるい「空気」の中で、日本人という敗戦国の国民は、後生大事に押し頂いてきたのである。そういう屈辱的憲法を平和憲法と称して誇る日本人すらあまたいた。この日本人の自立心の弱さ、あるいはもっとたちの悪い自己欺瞞こそ、今日の日本人の精神的、道徳的頽落の淵源である。

 戦後の日本は「町人」国家として、米国の「丁稚」を務めていたに過ぎない。この肥え太った「町人」は、東アジアの安全保障の環境の激変におろおろするばかりである。近来は、贅肉がずいぶん落ちてきて貧しくなりつつあるものの、経済にばかり関心を持ってきたので、人間としての品格も失われ、世界から尊敬されることもない。このような日本にしてしまった戦後の復興が、今後の復興のモデルになっていいわけがない。

 では、今日の日本人が「日本の近代」を問い直すために振り返るべき時代は、どこであろうか。私は、それは明治初年だと思っている。そして、明治初年というとき、明治10年ぐらいまでをイメージしている。明治10年とは、西郷隆盛が自刃した年である。この時代に発現した「明治初年の精神」こそ、今後の日本の精神的再建の道標となるものである。

 るつぼの創業期こそ振り返れ

 明治維新の時、当初、王政復古とは、「建武の中興」に復帰するということだと考えられていた。しかし、岩倉具視の顧問であった国学者の玉松操の意見により、「神武創業」の根本にまで遡るということになったのである。

 そのことを考えるとき、今回の大震災後の日本の復興は、「明治初年の精神」に復帰することでなければならない。戦後の復興というようなものは、いわば「建武の中興」に戻るような中途半端なものに過ぎない。ここは、一気に明治初年まで戻ってみる必要がある。明治維新とは、まさに「神武創業」の精神によるものであり、「明治初年の精神」は「創業」の時代に相応しく根源的なもののるつぼであったからである。橋川文三は、この時代のことを「豊かな可能性のるつぼ」と呼んだ。

 この「明治初年の精神」は、江戸の日本が西洋の文明とぶつかった衝撃から生まれた物であり、るつぼのような激しい精神の劇が起こった。内村鑑三は、「武士道に接ぎ木されたる基督教」という言い方をよく使ったが、「明治初年の精神」とはつまり「接ぎ木」である。江戸時代に醸成された武士道や儒教、あるいは国学的な教養といったものによって形成された、「台木」としての日本人の精神に西洋文明のさまざまなものが「接ぎ木」されたのであった。

 この「明治初年の精神」の「るつぼ」の中から、何か、今日の日本を覆う重苦しい閉塞状況を突き破るものが、見つかるのではないか。そして、東日本大震災の日本の再建は、単なる再建ではなく「創業」の精神で取り組まなければならないものであろう。

(しんぽ・ゆうじ)文芸批評家、都留文科大学教授
(産経新聞平成25年3月15日「正論」)